2011年9月15日

日本の若者の幸福度が70%ちかいという事実をどう解釈するか?

絶望の国の幸福な若者たち という本を読んでいる。かなり面白い。まだ半分くらいしか読んでいないが。その中で、早速、そのとおりと思ったのが、幸福に関する論証だ。


なぜ日本の若者はこんな不幸な状況におかれているのに、立ち上がろうとしないのですか?


この本では「なぜなら、日本の若者は実はとっても幸せだからです」という逆説を指摘している。


なんと、自分がいま幸せだと感じる若者は、高度経済成長期やバブル時期よりも顕著で、なんと失われた20年にはいってから今が幸せだと思う若者の割合は増え続け、ついに過去最高の70%に達しようというのだ。
世界幸福度*ランク1位のブータンや北朝鮮にせまろうかという数字。


これはいったいどういうことか。

この本の論証によると、将来の可能性がとざされた人は、自分が幸せだと答えるという。
これは、心理学的な効果だ。
そう答えるほかないのだ。今は幸せだが将来には不安で絶望しているというアンビバレント。
実際に、老人はもう今より将来が良くなることはないので、今の生活に満足していると答える割合が高いという。そうしないと自己肯定できないのだ。
人はもはや将来に希望が描けないときに、今は幸せだ、いまは満足だと回答するというのだ。
この単純な仕組から、経済が停滞し、未来が描けなくなればなるほど、幸せ度合いが高いと答えるひとがふえるのだ。もちろん戦争などが起こってしまえば別だが、緩やかに停滞していく限り、幸福度はましていく。このような社会では、自己肯定が流行り、自分を愛すること、ありのままの自分を認めることが大事になり、それが幸せにつながっていく。
つまりブータンなり北朝鮮の幸福度はブラフではなく、そう答えるひとが多いのは合理的理由があったのだ。


一方で、高度経済成長をしている国では、いま幸せでないと答えるひとの割合が高いという。
実際に日本の例でも、高度成長の時代には、国民の幸福度は決して高くなかった。その理由は、これも心理学的な効果である。
もっと豊かになれる将来が描けて自分もそうなれると思っているのだ。だから理想の生活にくらべると自分はまだ貧乏で、それがアンケート結果としては「生活は不満足」「まだ幸せではない(=更に上の幸せを目指す)」という結果になるという。
中国などでは、どんどん不幸せだという人が増えている。


これにある概念を加えると、もうすこし面白くなる。
リスクに背を向ける日本人という本の中で、幸せと悦びの違いについて指摘している箇所がある。


幸せとは、"状態について"の感情だという。

進化論的には、小さい集団の中でお互いに助けあって暮らしてちゃんと子供をそだてているときこれでいいんだという気持ちになるので、幸せをかんじる。
こうした意味では競争に勝つ必要はない。家族や親しい仲間で助けあう関係をつくればいい。そう考えると、まさに、経済停滞下の若者は、このようにして幸せを得ている。


一方で、幸せとはにているが、悦びという概念もあるという。
これは、達成感というものに近い概念だ。


この本の中では、大富豪と結婚し、何不自由なく子育てして、親戚や友人とお付き合いする生活は「幸福度はMAX」だが「悦びは得られにくい」という。
悦びを得るには、たとえば、論文を書いて認められたり、ビジネスを起こして成功したり、そのような達成感によるという。
人間は農民であった時代も幸福感はあった。ただ、悦びはすくなかった。
つまり、成長しない時代は幸福があり、悦びがなかった。
一方で経済が成長すると、幸せはズタズタになってしまったが、近代以降、個人が達成できる悦びや選択肢はとても多くなったという。


いま世の中で「幸福」というとき、先ほどの富豪と結婚子育て系の"幸福"と、論文がみとめられるような"悦び"を、ふたつ一緒にして、「幸福、幸せ」とよんでしまっているが、この2つは、どうやら人間の脳の別の部分を刺激するようで、呼び方はいろいろあって、男脳とか女脳とか呼び始めるアホがでそうなのは容易に想像できそうなのだが、それはさておいて、2つを分けて論証していったほうがよさそうだというのが僕の仮説だ。


(まとめ1)
幸せというのは、リスクがすくなく安らぎや安定、他人との繋がりや共感
悦びとは、達成感や力を発揮すること、他人から評価されることなど


(まとめ2)
経済成長 → 悦びの増大 & 幸せの減少
経済停滞  幸せの増大 & 悦びの減少


といえそうだ。
今の若者は、幸せは増大する反面、将来には絶望して悦びを見いだせていない。
いちばん自殺者がおおいといわれる中年は、いままで仕事などの悦びに幸せを見出していた一方でそれが打ち砕かれ、一方で価値観は転換できずに、幸せも得られてないということで、ダブル絶望になり、自殺者に及んでしまうのだとおもう。


(まとめ3)
ダブル絶望は自殺


ここから得られる示唆はいろいろ考えられるが、自分がどちらにより幸せ(幸せと書くとややこしい)、なんだろう、恍惚(それもだめだ)、なんだ、ようするに、えいや、経済用語をつかって、効用だ、それだ、効用を得られるのか。
自分は幸せを得たほうが効用が高いのか、悦びを得たほうが効用が高いのか、そういうのを考えるとひとつのヒントになるかもしれない


肉食系とか草食系とかそういう議論もたいがいこういうフレームで片付けられそうだ。


悦び効用が高い人は、ハイパーノマドとして、世界を駆け巡り、あくなき成長を求めよ。ただしあまりに競争が激しいので、焦燥感にかられ、燃え尽きてしまうかもしれず、どんなに頑張っても幸せを得ることができないかもしれない。


幸せ効用が高い人は、日本の豊かなインフラと先人たちの恩恵に授かり、手に触れることのできる温かい幸せを満喫しよう。ただし、将来の見通しが得られないので、時々やってくる得も言えない不安感に押しつぶされるのを、なんとかして無視していかなくていはいけない。



しかし、幸せの生き方も、悦びの生き方も、どちらかにどっぷり浸かるのはあれだとおもう。どちらかに偏りすぎると、結局心のバランスを保てない。
ではどうしていけばいいのだろうか?


止めどなくすすむグローバル化、
テクノロジー進化によるネット内の社会の出現、
この2つの現代社会の大きな潮流は、幸せ、悦び、どちらにどのように作用するのだろうか?
そして、僕らは、幸せと悦びをバランスよく享受することが可能なのだろうか?
そうだとしたら、どのような形態がありえるのだろうか?
どのような社会であれば、それが実現可能なのだろうか?


これらが僕が問いかけたいものである。


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注) *幸福度というのはあくまで主観的な心理学的なものなので、客観的には図るすべがない。なので、正確には、定義できない第三者的な"幸福な若者"ではなく、"幸福だと思うとアンケートに答える人"の割合が増えているということである


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